バックパッカーの記事

東日本大震災 The Great East Japan Earthquake バックパッカーの目線 

東日本大震災 The Great East Japan Earthquake バックパッカーの目線 

 

 

突然ですが、旅をしていますか?

 

私が考えるバックパッカーは行きたかった場所を旅をするだけではありません。

バックパッカーは肩書だと思っています。

バックパッカーは自分の感受性を枯らさない為に、色々な意味で広い世界を見て、聞いて、話して、触って、感じて、色々なことをして旅をするんです。

 

誰かが書いた本や歴史に関連する資料を読むことも旅だと私は思っています。

 

時に歴史の中を旅します。

時に時代の最先端を旅します。

時に自分自身の人生や他人の人生の中を旅します。

時に3次元の世界観を旅します。

 

そして、時に時代を動いた瞬間を旅します。

 

2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒(日本時間)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km(北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24km)を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生しました。

東日本大震災のことです。

 

震源域は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万km2で、最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強でした。

 

私は東京にいましたが、人生で初めて体験する強い揺れと恐怖感でした。

 

東日本大震災は日本に多くの影響を与えた出来事であり、現在進行形で多くの物事との原点になっていると思います。

私の防災に関する取組みもこの東日本大震災以降に大きく変わりました。

 

私は自分の感受性を枯らさない為に、色々な意味で広い世界を見て、聞いて、話して、触って、感じて、色々なことを経験するべきだと思っています。

 

だからこそ、被災地に行くべきだと考えていました。私が被災地を訪れることができたのは、2011年(平成23年)6月12日でした。

 

自分がこの地の為に何ができるのかを自分の中で探していました。

バックパッカー目線の写真

 

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被災地の風景 その1

3.11から「TSUNAMI」は世界の共通認識の言葉になりました。

回避できたのか?できなかったのか?議論は今も続いています。

現在進行形なんです。

 

 

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被災地の風景 その2

このタンクは撤去されました。多くの人が見たことがあるタンクだったと思います。目印にもなっていたと思います。

その目印がない風景に寂しさを感じる人がいて、生きています。

現在進行形なんです。

 

 

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被災地の風景 その3

こんな風景は誰も見たことがないんです。だから違和感しかありませんでした。

おそらくこの一帯は復旧していると思います。ただ、復興まではわかりません。

復興に終わりはありません。10-1になって0にして1にして10にしていかなければなりません。10はまだまだ、先の話です。みんなが東日本大震災を良い意味で忘れるまでです。

現在進行形なんです。

 

 

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被災地の風景 その4

人生の記憶は時に友達や仲間との思い出です。

大人になって、あの日、あの場所で交わした会話を友だちや仲間と語り合い、後世に伝えることができればあの日の記憶との約束が果たせるのかもしれません。

現在進行形なんです。

 

 

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被災地の風景 その5

震災時の廃棄物の処理は今でもその対策方法が議論されています。

安全面、衛生面、事前に色々な事が協議され、今後の防災や被災時の迅速的な復旧に役立てられています。

事前復興という言葉もあります。

現在進行形なんです。

 

 

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被災地の風景 その6

海は語りません。

 

 

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被災地の風景 その7

津波のパワーの前に人類は何もできません。だから、多くの研究がされています。事前に回避する為に。

現在進行形なんです。

 

 

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被災地の風景 その8

小さな命も大きな命もその土地で生きれるはずです。

現在進行形なんです。

 

バックパッカー目線が教えてくれること

 

自分がこの地の為に何ができるのか。

私は周りの人に防災に関する情報をシェアしています。

そして、将来的に事前復興のような取組みに参加したいと考えています。

 

経験をしたからこそ、本質的な取組みを通して、自然やAIと共存し次の大震災の被害を可能な限り回避すべきだと思っています。

 

ブログを読んで頂きありがとうございました。